ルドルフ・シュタイナーの人物像に、これほど真摯に向き合った証言は他に例がありません。真理を前にしての謙虚で誠実な姿勢と、人間性あふれる人物像は、目を洗われるような読書体験となることでしょう。 (涼風書林チラシより)
〜私にとって人智学はゆう物主義の外に最終的に導いてくれる人類的行為であり、中部ヨーロッパから全人類に働きかけようとする霊的な救済の業であり、この時代の純粋な探求精神によるキリスト教の救済であり、人類が破滅しないためにまさに必要な、現代における真のきりすとの言葉なのである。
〜この業は今や完成して。それは大いなる問いのようにして人類に向かって立っている。彼に属する者達が皆、全力を尽くして共に一致協力してとりくむならば、それは広まっていくことだろう!
(本文より)
著者
フリードリッヒ・リッテルマイヤー Friedlich Rittelmeyer
1872年、南ドイツのディリンゲンに生まれる。エアランゲンとベルリンで神学を学び、23歳でヴュルツブルクのヨハネス教会の代理牧師となる。1903年、論文『フリードリッヒ・ニーチェと認識の問題』により哲学博士号取得。1903年からニュルンベルクの聖霊教会牧師。1911年にルドルフ・シュタイナーと初めて出会う。1916年、ベルリンの「新教会」主任牧師。1922年、キリスト者共同体創設にともない司祭就任、1922年より総代表を勤める。1923年よりドイツ人智学協会理事。1925年ルドルフ・シュタイナー死去にあたり葬儀を担当。1935年にドイツで人智学協会が禁止され、キリスト者共同体の禁止令を出させないよう努力しているさ中、1938年講演旅行中ハンブルクで死去。
訳者
輿石祥三 Koshiishi Shozo
東京まれ。 東京大学文学部卒。学習塾勤務のかたわら高橋巖氏のもとで人智学を学び、83年渡独。シュトゥトガルトのヴァルドルフ教育教員養成所、キリスト者共同体自由大学(神学校)に学ぶ。 帰国後、翻訳会社勤務。同時期に日本でのキリスト者共同体設立準備にたずさわり98年再渡独、翌年司祭に就任。ベルリン集会で司祭研修後、2000年から日本のキリスト者共同体東京集会で働く